菅野完、言論活動10年の闘争:「政治が人を殺す」時代の日本近代化論 | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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菅野完、言論活動10年の闘争:「政治が人を殺す」時代の日本近代化論

2025/12/26(金)朝刊チェック:政治が人を殺すとき。

私が菅野完でございます。朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど

言論人・菅野完氏が、物書きとしてデビューしてから10周年の節目を迎えた。サラリーマンを辞め、40歳を過ぎてから筆一本で生きる道を選んだ彼の活動は、この10年間、ただ一つの壮大なテーマに捧げられてきた。それは「明治維新以来150年、いまだ『近代』を体得できずにいるこの国に、真の近代をもたらす」という闘争である。

本稿は、菅野完という稀代の論客が歩んできたこの10年の軌跡を、三つの視点から解き明かす試みである。第一に、彼の個人的な成熟がいかにしてその思想の礎となったのか。第二に、彼が日本社会の構造的欠陥をいかに冷徹に診断しているのか。そして第三に、その病理を根治するために彼が提示する、あまりにも過激な処方箋とは何か。本稿は、彼の挑発の裏にある冷徹な論理を解剖し、その過激な処方箋が、実は「政治が人を殺す」という日本の病理に対する、唯一の論理的帰結であることを明らかにするものである。

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1. 40歳からの闘争:言論活動10周年に込めた「唯一のテーマ」

菅野完氏の言論活動は、単なる個人の夢の実現という物語に留まらない。40歳という年齢で得た成熟した視点こそが、彼の日本社会への鋭い問題提起の原点となっている。10年間、一貫して掲げられてきたテーマは、彼のキャリアそのものが日本近代化への闘争であることを示している。

1.1. 遅咲きのデビューと「異例の売れ方」

菅野氏は、40歳を過ぎてからサラリーマンを辞め、物書きとしてデビューするという、現代では稀有なキャリアを歩んできた。彼自身が語るように、メディアが多様化した平成・令和の時代において、40代の新人として登場し、一度も連載を途切れさせることなく筆一本で10年間活動を続けてきたことは「異例の売れ方」と言えるだろう。これは、彼にとって「物書きになる」という子供の頃からの夢の実現であり、その背景には、退路を断ってこの道を選んだ個人的な覚悟が窺える。

1.2. 近代の導入:10年間貫徹した「たった一本のテーマ」

彼の言論活動は、デビュー以来、驚くほど一貫したテーマに集約される。それは**「明治維新以来150年経っても『近代』を体得できない日本に、近代をもたらす」という、ただ一つの目的である。彼がここで定義する「近代」とは、精神論やイデオロギーではない。それは徹頭徹尾、「オペレーション(運用・作法・システム)」**の問題である。個人の感情や身分に左右されず、定められたルールや手続きが淡々と機能する社会こそが、彼の目指す近代国家の姿なのだ。

1.3. 年齢がもたらす成熟と「ガルトンボード」の理(ことわり)

なぜ彼がこれほどまでに「システム」にこだわるのか。その答えは、彼が「40歳を超えて初めて気づいた」と語る、「ガルトンボード」の比喩に隠されている。ガルトンボードとは、釘が打たれた盤面に多数の玉を落とすと、自然に正規分布が描かれる装置である。

彼は言う。若い頃は、組織や社会を管理するとは、一つ一つの玉の進路に介入し、「あっちへ行け、こっちへ行け」と指示することだと考えがちだ。しかし、年齢と経験を重ねることで、全く逆の真理に至る。土台(システム)を公平(水平)に保ち、あとは『ほっておく』ことこそが、最も美しく安定した結果(正規分布)を生むのだと。この「介入しないこと」の重要性を理解する成熟こそが、近代的な統治論の核心であると彼は喝破する。

この「土台を整え、あとは介入しない」という近代の理は、菅野にとって単なる個人的な成熟の証ではない。それは、現代日本の権力者たちが、いかにこの理に反した「介入」によってシステムを破壊しているかを暴き出す、診断のメスそのものとなるのである。

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2. 診断・日本の病理:なぜ近代は150年間、未達のままなのか

菅野氏が日本社会に向ける視線は、外科医のメスのように冷徹だ。彼が問題視するのは、個別の政策の失敗ではない。明治維新以来、この国が抱え続けてきた統治のOSそのものに、致命的なバグが埋め込まれていると彼は診断する。その病理は、150年の歴史に深く根差している。

2.1. G7との決定的差異:「前近代的権力者」を殺し尽くせなかった歴史

なぜ日本は近代を体得できないのか。菅野氏は、その原因をG7諸国との歴史的な比較から明らかにする。アメリカの独立革命、フランス革命、イギリスの清教徒革命、そしてドイツのニュルンベルク裁判。これらの国々は、歴史の転換点において、古い支配者層や前近代的な価値観を持つ権力者を、物理的あるいは社会的に**「殺し尽くす」**ことで過去を清算し、新たな近代システムを構築した。

一方で日本は、東京裁判が冷戦構造という米ソの都合によって不徹底に終わり、本来断罪されるべきであった岸信介児玉誉士夫、あるいは軍人から戦後政治家に転身した源田実辻政信といった旧体制の人間たちが生き残ってしまった。この**「掃除のし忘れ」**こそが、近代化を阻む根源的な病巣であると彼は断じる。前近代の亡霊が、戦後の権力構造に温存され、システムよりも「人」を優先する悪しき伝統が続いてしまったのだ。

2.2. システムを破壊する「おっさん」という病

歴史的に排除され損ねた前近代の亡霊は、現代において**「おっさん」という病理として顕在化する。菅野氏の定義する「おっさん」とは、年齢の問題ではない。それは、理性や論理(脳)ではなく、自身の原始的欲求や身体感覚(動画内では「ちんちん」**という過激な言葉で表現される)で物事を判断し、公的なシステムやルールを軽視する精神構造を持つ権力者のことである。彼らは、客観的なルールよりも「俺がどう感じるか」「俺のメンツが立つか」を優先する。この「おっさん」たちが社会の中枢に居座り、システムを私物化し続けることこそが、日本の停滞の元凶なのだ。

2.3. 「政治が人を殺す」具体例:兵庫県知事の指揮命令系統の無視

では、「おっさん」によるシステム破壊は、具体的にどのような悲劇を生むのか。菅野氏が「明確に人を殺しに来ている」と厳しく断罪する、兵庫県知事の事例がその答えである。

知事は、鳥インフルエンザ対応の防災マニュアルに定められた指揮命令系統(システム)を無視し、本来は委員の一人に過ぎない自分を「トップ」だと誤認・誤記した。これは、客観的なルールよりも**「自分がトップでないと気に食わない」という個人の幼稚な自意識を優先させた典型的な「おっさん」の振る舞いである。阪神・淡路大震災のような未曾有の危機下において、この指揮命令系統の混乱は、初動の遅れ、リソースの誤配分、そして救えるはずの命の喪失へと直結する。これこそが、近代の対極にある「人治」の危険性そのものであり、菅野氏が告発する「政治が人を殺す」**構造なのである。

旧体制の亡霊が「おっさん」としてシステムを破壊し、国民を死の危険に晒す。この診断が確定した以上、論理は必然的に一つの問いへと行き着く。すなわち、この「病原体」を、現代においていかにして根絶するかという、過激な治療法の探求である。

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3. 過激な処方箋:国家の意思を守るための刑法改正案

菅野氏が提示する解決策は、単なる政策提言ではない。それは、日本の病理を根治するために、国家の価値観そのものを転換させようとする、論理的な帰結である。彼が提案する刑法改正案は、彼の近代化論の最も先鋭的な表現と言える。

3.1. 価値の転換:死刑の対象を「殺人犯」から「システム破壊者」へ

彼の提案は、シンプルかつ衝撃的だ。現在、殺人や強盗殺人といった生命犯・財産犯に適用されている死刑を停止し、その代わりに以下の三つの罪を死刑の対象にせよ、というものである。

  • 公文書偽造
  • 贈収賄
  • 斡旋利得

これは、国家が科すべき最も重い罰の対象を、個人の生命を奪う「殺人犯」から、国家の意思決定システムそのものを破壊する「システム破壊者」へと、根本的に変更することを意味する。

3.2. 国家のOSを守るための論理

なぜ、公文書偽造が殺人以上の重罪となりうるのか。その論理を理解するには、国家を一つの巨大なコンピュータシステムとして捉える必要がある。公文書や公式な意思決定プロセスは、国家というシステムを動かすための**「OS(オペレーティングシステム)」**である。これを改ざん・歪曲する行為は、単なる事務的な不正ではない。それは、国家の「脳(判断機能)」と「記憶(記録)」を破壊し、システム全体を麻痺させる行為に他ならない。

**「旅客機のブラックボックスとフライトプラン」**のアナロジーが、この論理を鮮やかに示す。乗客同士の喧嘩(殺人)も問題だが、パイロットがフライトプランを偽造したり、事故後にブラックボックスを破壊したりする行為は、乗客全員を墜落死させる、比較にならないほど重い罪である。国家の意思決定プロセスを守ることは、国民全員の命を守るための絶対的な安全装置であり、そこに手を触れる者は極刑に値する、と菅野氏は主張する。この論理は、あらゆる重要システムに共通する。審判を買収しスコアボードを書き換える(サッカー)、あるいはカルテを改ざんし安全装置の記録を偽る(病院)—いずれの行為も、単一の反則や事故とは比較にならない、システムそのものを殺す「最悪の罪」なのである。

3.3. 法による革命:「アホ」を駆逐し、近代を強制インストールする

この過激な刑法改正案に込められた真の狙いは、日本が歴史的に成し遂げられなかった**「前近代的な権力者の排除」**を、現代において法的に実現することにある。「公文書を偽造すれば死刑」という絶対的なルールを設けることで、システムを軽視し、私利私欲で国家のOSにウイルスを混入させるような「アホ」や「おっさん」を、社会から法的に駆逐する。

それは、血を流す革命に代わり、法の力によって近代化を強制インストールする、冷徹な外科手術にも似た処方箋なのである。

この過激な提案は、菅野氏の10年にわたる言論活動の一つの集大成であり、近代の入り口で立ち尽くす日本社会全体に対する、究極的な問題提起と言えるだろう。

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結論:近代未踏の国で、システムを守るための闘争

菅野完氏の言論活動10周年は、単なる一個人のキャリアの記録ではない。それは、明治以来150年間、近代というOSのインストールに失敗し続けてきた日本の構造的欠陥に対する、執拗かつ継続的な闘争の記録である。

彼の40歳からの歩み、日本社会への冷徹な診断、そして公文書偽造を死刑にせよという過激な処方箋。これら一見バラバラに見える要素は、**「権力者の情動による『人治』から、国民の命を守るための『法治(システム)』へ」**という一点へと、鮮やかに収斂していく。彼の主張は、その過激さゆえに感情的な反発を招きやすい。しかし、その挑発的な言葉の奥には、現代日本が直面する統治の根本問題をえぐり出し、私たちに思考を強いる、極めて重要な知的挑戦が秘められている。彼の主張は、日本社会に一つの究極的な問いを突きつける。すなわち、国民の命を奪う「人治」という病に対し、国家の意思決定という聖域を「死」をもって守るという劇薬を、我々は果たして「過激」と断罪できるのだろうか、と。

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