2026/1/6(火)朝刊チェック:ベネズエラの件でトランプを支持できちゃうようなクソ弱者を指差して笑うオールドメディアの底力
記事の要約と図解
【結論】 中部電力・浜岡原発のデータ捏造問題は、単なる企業の不祥事ではない。これは「正直にやれば基準を満たせない日本型組織」と「それをチェックできない規制当局」、そして「腐敗を隠蔽する大手メディア」という、日本社会の構造的病理が「原子力」という危険な技術と致命的に相性が悪いことを証明する決定的な事件である。
【ポイント3選】
- 言葉の詐欺:メディアは「過小評価」と報じるが、実態は存在しない数値を入力した完全な「捏造(犯罪)」である。
- 監視の崩壊:国の規制委は節穴であり、安全担保は「個人の命がけの内部告発(第3号通報)」という偶然に依存している。
- 狂気の報道:不正発覚の当日に「原発推進」を一面トップで報じる日経新聞は、権力と結託したプロパガンダ機関に過ぎない。

私が菅野完でございます。朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど、今日は実に日本的な、実に救いようのない話から始めなければなりません。静岡県にある中部電力・浜岡原子力発電所で発覚した、地震動評価に関するデータの捏造問題です。
しかし、これは単なる一企業のコンプライアンス違反、不祥事といった矮小な話ではありません。この一件は、日本の原子力行政がいかに形骸化し、腐敗しているか、そしてその腐敗を覆い隠すために大手メディアがいかに機能しているか、さらには、そもそも「日本人」という我々の組織文化や気質そのものが原子力という技術と絶望的に相容れないのではないかという、この国の構造的な「病理」を象徴する、極めて深刻な事件なのです。本稿では、この浜岡原発の「インチキ」を解剖し、その根底に横たわる日本の絶望的な姿を白日の下に晒していきたいと思います。
1. 「過小評価」という欺瞞:これは事件ではなく「完全なインチキ」である

まず、この事件を語る上で最初に解体しなければならない欺瞞があります。それは、大手メディアが好んで使う「過小評価」という言葉です。この一見すると穏当な表現は、事件の本質を巧みに覆い隠し、我々の危機感を麻痺させるための巧妙なレトリックに他なりません。これは意図的な言語戦略であり、その目的は「犯罪」を単なる「間違い」へとすり替えることにあります。この言葉の裏に隠された「捏造」という犯罪的行為の重大性を直視することから、全ての議論は始まります。
意図的な詐欺行為を単なる計算ミスに見せかけることで、メディアは実行犯から悪意という動機を剥奪し、国民を「システムは欠陥だらけだが、不正ではない」という恐ろしい嘘から守っているのです。
ソースコンテキストを精査すれば、中部電力が実行した不正行為がいかに悪質であったかは明白です。彼らが行ったのは、複数の調査結果の中から都合の良い、低い数値を「採用」したという生易しいものではありませんでした。
調査Aの結果も調査Bの結果も、両方とも数字を書き換えて「存在しない数値を提出した」
のです。これは「評価」の範疇を完全に逸脱した、「完全なインチキ」であり、明白な資料捏造です。評価を誤ったのではありません。評価の前提となるデータを、意図的に改ざんしたのです。
それにもかかわらず、メディアは「過小評価」という見出しを掲げる。菅野氏が鋭く指摘するように、「そうではなくて資料を捏造してたんです」。この言葉のすり替えは、極めて意図的です。なぜなら、「過小評価」という言葉は「少し見積もりが甘かった」程度の、修正可能な技術的ミスという印象を与えますが、「捏造」という言葉は、組織的な意思決定による犯罪行為であることを明確に示すからです。この言葉による矮小化こそが、事件の重大性を一般市民から見えにくくしている第一の壁なのです。
では、なぜこれほど明白な「インチキ」が、国家の審査機関である原子力規制委員会によって見過ごされたのでしょうか。その問いこそが、我々を次の絶望、すなわち監視システムの完全な崩壊へと導くのです。
2. 崩壊した監視体制:「内部通報」しか頼れないシステムの絶望
国家の最重要インフラである原子力発電所の安全性は、厳格な規制と監視システムによって担保されている――。我々が抱かされてきたこの幻想は、浜岡原発の一件によって無残にも打ち砕かれました。この捏造が、なぜ公的な審査の過程で一切見抜けなかったのか。その事実こそが、この国の統治機能が末期的な状況にあることを示しています。
原子力規制委員会の機能不全
中部電力が提出した「存在しない数値」は、原子力規制委員会の審査プロセスをいとも簡単にすり抜けました。これは、国の規制・監視機能が、もはやチェック機関としての役割を全く果たしておらず、完全に形骸化していることの決定的な証拠です。彼らは提出された資料を鵜呑みにするだけで、その正当性を検証する能力も意思も持ち合わせていなかった。これは単なる怠慢ではなく、犯罪的なネグレクトと断じるべき茶番です。
「3号通報」が示す構造的欠陥
この巨大な不正が白日の下に晒されたのは、規制委員会の鋭い眼光によるものでも、中部電力の自浄作用によるものでもありませんでした。それは、一人の内部関係者が自らのリスクを顧みずに行った「3号通報」、すなわち外部への内部告発によってのみ可能となったのです。
この事実が持つ意味は、あまりにも深刻です。 もし、この勇気ある個人が存在しなければ、この「インチキ」は永遠に闇に葬られ、捏造されたデータに基づいた危険な原子力発電所が、何事もなかったかのように稼働していた可能性が極めて高い。よく考えてみてください。我々の国土を数世紀にわたって居住不可能にする潜在的リスクを持つ技術の安全性が、堅牢な国家の監視体制ではなく、一個人の英雄的な、そして全く偶発的な良心の賭けに依存しているのです。日本の原子力行政の安全神話とは、この綱渡り以下の脆弱なシステムに他ならなかったのです。
監視システムが機能せず、現場では捏造が横行する。このような状況が常態化しているとすれば、もはやそれは技術的な問題や制度設計の不備といったレベルの話ではありません。我々は、より根源的な問い、すなわち「日本人にはそもそも原発は無理なのではないか」という、この国の組織文化や国民性そのものに根差した問題へと向き合わざるを得なくなるのです。
3. 決定的不適合:「日本人には原発は無理だ」というロジック
浜岡原発の問題を、一企業のコンプライアンス論や原子力規制の技術論から、日本社会そのものの構造を問う「日本社会論」へと昇華させること。ここに、この事件から我々が学ぶべき最も根源的な教訓があります。菅野氏が提示する最も根本的な主張――それは、日本人の組織文化や国民性そのものが、原子力という高度な技術と根本的に相容れないという、冷徹な結論です。
「捏造が前提のシステム」という断罪
菅野氏は、この国の原子力発電システムの本質を、次のように断定します。
「こう(捏造)しなきゃ動かないのが日本の原発である」
これは、単なる感情的な批判ではありません。正直にデータを扱えば、定められた厳格な安全基準を満たすことができない。だから、組織ぐるみで数値を改ざんし、帳尻を合わせるしかない。浜岡の一件は、日本の原発がまさにそのような構造的な病理の上に成り立っていることを証明してしまいました。コンプライアンス(法令遵守)という概念そのものが、この業界では空念仏に過ぎないのです。
日本人の資質への絶望的評価
原子力発電所の運用には、極めて高度な規律と、何よりも「嘘をつかない」という徹底した誠実さが求められます。しかし、日本の組織に根深く巣食う隠蔽体質、その場しのぎで物事を収めようとする気質は、この絶対的な要請とは正反対のベクトルを向いています。
したがって、この一連の事実から導き出される「反原発のロジック」は、極めてシンプルかつ強力です。 日本の組織文化や日本人の気質には、原発の運用は「合わない」し、「無理」なのだ、と。これはもはやイデオロギーや感情論ではなく、繰り返される不祥事と隠蔽の歴史から導き出される、痛みを伴う経験則なのです。
しかし、不思議なことに、現場の実態がこれほどまでに腐敗しているにもかかわらず、社会の表層では何事もなかったかのように「原発推進」が語られています。このグロテスクな乖離は、一体どこから生まれるのでしょうか。その答えは、この腐敗構造の「共犯者」である大手メディアの存在を抜きにしては語れません。
4. 共犯者としての「オールドメディア」:腐敗を覆い隠す情報歪曲の構造
浜岡原発の捏造事件が大手メディアでどのように扱われたかを分析することは、日本の「言論空間の腐敗」という、より大きく根深い問題を理解する上で不可欠です。彼らの役割は、単に報道が下手なのではありません。彼らは、前章で論じた「日本人には原発は無理だ」という決定的不適合性を覆い隠し、危険な手術を続行させるための麻酔薬として積極的に機能しているのです。
日経新聞が示した露骨な欺瞞
その象徴的な事例が、日本経済新聞の報道姿勢です。浜岡原発で、国の安全審査の根幹を揺るがす重大なデータ捏造が発覚した、まさにその日のこと。日経新聞の一面トップを飾った記事は何だったか。
「東電、原発・再エネで脱炭素電力6割に拡大」


これほど悪質な冗談があるでしょうか。一方では、足元の原発で、内部告発がなければ永遠に隠蔽されたであろう「完全なインチキ」が行われている。その同じ紙面で、他方の電力会社がこれから原発をさらに拡大していくという、華々しい未来図を宣伝しているのです。
「実態と表象の絶望的な乖離」という病
ここに、現代日本が抱える「実態と表象の絶望的な乖離」が凝縮されています。
- 実態: 現場は「腐って」おり、捏造なしには成り立たない。
- 表象: メディアは、その腐敗した実態を完全に無視し、大企業や霞が関の意向に沿った「提灯記事」で紙面を埋め尽くす。
これは、メディアがもはや社会の木鐸や権力の監視役ではなく、大企業や霞が関の広報機関、権力構造の維持装置として機能していることの動かぬ証拠です。深刻な不正のニュースは紙面の目立たない場所に追いやられ、代わりに金と権力に奉仕するプロパガンダが一面を飾る。この情報歪曲の構造こそが、社会全体の危機感を麻痺させ、自浄作用を奪っているのです。
メディアによるこの情報の歪曲が、社会から健全な自己批判能力を奪い、腐敗したシステムを延命させている。この危機感を胸に、我々は最終的な結論へと至らなければなりません。
5. 結論:これは浜岡だけの問題ではない、日本社会全体の病理である
本稿で分析してきた浜岡原発のデータ捏造事件は、結論として、単なる中部電力一社の不祥事では断じてありません。それは、この日本社会が抱える複合的かつ末期的な病理が凝縮された、象徴的な出来事なのです。
改めて、この事件が白日の下に晒した病理の悪循環を総括しましょう。 まず、**①「正直にやれば基準を満たせない」ため、組織ぐるみで不正を行うしかない「捏造でしか回らない現場」**が存在します。この犯罪的行為は、**②国の規制機関が捏造を全く見抜けず、チェック機能が完全に形骸化している「公的監視システムの機能不全」**によって可能にされています。そして、この腐りきった構造全体が、**③腐敗した実態を覆い隠し、むしろ原子力推進のプロパガンダを垂れ流す「大手メディアと結託した隠蔽体質」**によって保護され、永続させられているのです。

この異常な状況を極めて痛烈な比喩で表現します。
「基礎工事の手抜きとデータ偽装が発覚したばかりの建設会社について、同じ新聞の紙面で『これからはさらに巨大なビルを建てて街を発展させます』と大々的に宣伝している」
まさに、狂気の沙汰です。監督官庁も、新聞社も、その建設会社を称賛している。この欺瞞と、社会的な自浄作用の完全な欠如こそが、この問題が我々に突きつける最大の危機なのです。
浜岡原発の捏造が示す最大の恐怖は、不正そのものではありません。社会全体が自浄作用を完全に失い、腐敗しきった実態を誰もが知りながら、それを美しい言葉で覆い隠し、破滅に向かって暴走を続けるこの構造そのものに他ならないのです。我々は今、その暴走するシステムのただ中に立たされています。
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