虚飾の大国、日本へ――菅野完が暴く「弱さへの恐怖」と国家衰退の病理 | 菅野完 朝刊チェック 文字起こし
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虚飾の大国、日本へ――菅野完が暴く「弱さへの恐怖」と国家衰退の病理

2025/12/29(月)朝刊チェック:ミサイルをローンで買って高額療養制度を廃止する貧乏人大国・ニッポン

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序文:朝刊チェックの時間

「私が菅野完でございます。朝刊チェックの時間がやってまいりました。頑張っていかなあかんなぁ~言うてるところなんですけど」

本稿は、批評家・菅野完氏の鋭利な分析を道標とし、現代日本社会を蝕む深刻な病理を解き明かす試みである。その病の名は「ウィークネス・フォビア」――すなわち、自らの衰退という現実を直視できない「弱さへの恐怖」に他ならない。この根深い恐怖が、いかにして私たちの日常会話から国家の政策決定、さらには国際社会における外交姿勢に至るまで、あらゆるコミュニケーションを歪め、この国を自己破壊的な道へと駆り立てているのか。その構造と力学を、深く掘り下げていく。

1. 病の根源:境界線を失った「下品な自己愛」

現代日本のコミュニケーション不全を解剖するならば、その根源には、自己と他者、あるいは主観と客観を区別できなくなった「境界線の溶解」という深刻な問題が横たわっている。他者への想像力を失い、あらゆる事象を自らの肥大化した自己愛を映し出す鏡としてしか認識できなくなったとき、対話は崩壊し、社会は品性を失う。この病理は、日常の些細な会話の中に、最も露骨な形でその「下品さ」を露呈する。

  • 例えば、誰かの家の棚から物が落ちたとする。健全な境界線を持つ人間であれば、「滑り止めシートを貼ってみてはどうか」と、相手の状況と対象物(オブジェクト)に焦点を当てた助言をするだろう。しかし、境界線を失った人々は決まってこう言う。「私なら地震対策シートを貼る」。これは助言ではない。話題の主語を瞬時に「相手の問題」から「私の優れたやり方」へと乗っ取る、粗野な会話のハイジャックであり、相手の状況への想像力を完全に欠いた、定義上「下品」としか言いようのない振る舞いである。
  • この構造は、趣味の世界にも見て取れる。サッカーファンの例は象徴的だ。海外のファンが戦術や選手の動きといった客観的な対象(オブジェクト)について熱心に語り合うのに対し、日本のファンの一部は「私がどれだけレッズを好きか」「家の中まで真っ赤な私」といった主観(サブジェクト)の吐露に終始する。彼らはサッカーという対象を語っているようでいて、実は「サッカーを好きな自分」という自己愛を語っているに過ぎない。これでは健全な対話や批評が成立するはずがない。

これらのコミュニケーション様式に共通するのは、いわば「むっつりスケベ」的な自己主張の構造である。これは、「私ならこうする」という権威者としての承認を求めながら、真に相手本位の助言をする責任は一切負わないという心理だ。承認欲求が透けて見える卑しさと、それを無関心を装って隠そうとする欺瞞――この不協和音こそが、その独特の下品さを構成しているのだ。この他者を消し去り、責任なくして承認を渇望するコミュニケーション様式は、単なる個人の欠点ではない。国家がこの病理を内面化したとき、他者が見えないという認知の歪みと、評価されることへの恐怖は、社会的な規模で発症する。それが「ウィークネス・フォビア」――脆弱な自尊心を守るための、攻撃的な防衛機制なのである。

2. 社会的発露:「ウィークネス・フォビア」という名の弱者叩き

個人の歪んだ自己愛は、社会というより大きなスケールにおいて、「弱さへの恐怖(ウィークネス・フォビア)」という、さらに攻撃的な現象へと転化する。これは、自らが衰退しつつあるという不都合な現実から目を逸らすために、より弱い存在を攻撃することで自らの「強さ」を錯覚しようとする、倒錯した防衛機制に他ならない。

この病理の本質は明快だ。「人間は弱くなると、弱いものに強く当たることが強さの印だと思い始める」。経済的にも精神的にも貧しくなった現代日本。その構成員が、自らを「田舎の貧乏人」であると認める恐怖に耐えられないとき、彼らはその不安を解消するためのスケープゴートを探し始める。外国人労働者、生活困窮者、あるいは病に苦しむ人々。自分よりも明確に「弱い存在」を見つけ出し、彼らに厳しく当たることで、かろうじて仮想的な「強者の自分」を維持しようとするのだ。

この弱者叩きの本質は、強さの証明などでは断じてない。それは、鏡に映る自身の衰えた姿から目を逸らしたいという、悲鳴にも似た恐怖の裏返しなのである。そしてこの病理は、国家という最大の共同体において、最も破滅的な形で政策に投影されていく。

3. 国家レベルの病理:「残クレでアルファードに乗る貧乏人」としての日本

個人の心に巣食う「弱さへの恐怖」は、国家の予算配分という最も重要なコミュニケーションにおいて、その自己破壊的な本性を現す。実質的な国力や国民生活の豊かさという現実から目を逸らし、虚飾の「強さ」を演出するために、未来を切り売りする。この国の現在の姿を完璧に描き出す、これ以上なく的確な肖像画がある。

毎日コンビニのおにぎりを食べているのに、家族でしまむらの服を着て、残価設定ローンで買ったアルファードに乗り付ける田舎の貧乏人。

これは単なる風刺ではない。現代日本の貸借対照表そのものである。この比喩は、この国の政策決定が抱える致命的な矛盾を、白日の下に晒している。

この「貧乏くさい見栄」こそが、国家レベルで発症したウィークネス・フォビアの末期症状だ。実質的な国力、すなわち国民一人ひとりの幸福と安全を犠牲にしてまで、虚勢を張る。この国家の統合失調症は、地政学における「私なら」というマウントに他ならない。車内では家族(国民)が飢えているという現実を無視した、自己愛の怪物的な投影である。そして、このような病理に侵された国民は、自らの欲望を代弁してくれる、空虚なリーダーを熱狂的に求め始めるのである。

4. 政治的症状:実体を失った「虚構のリーダー」への熱狂

国民の間に蔓延する「弱さへの恐怖」と「下品な自己愛」は、必然的に、その欲望を忠実に反映する政治家を待望する。政策や実績といった実質ではなく、ただひたすらに「強い日本」という幻想を見せてくれるパフォーマー。その典型例として、高市早苗氏の存在が挙げられる。

彼女の政治スタイルは**「作られたキャラクターへの過剰適応」**と呼ぶべきものである。かつての漫才ブームにおける横山やすし・西川きよしが、ネタの実力以上にシステムによって作られたスターであったように、彼女の人気もまた、支持層が求める「強いリーダー」という虚構を演じ続けることで成り立っている。彼女が情熱を注いでいるのは、現実的な政策遂行ではなく、「期待を裏切らないために嘘をつき続けること」そのものなのだ。

この政治的パフォーマンスは欠陥ではなく、むしろ機能である。「ウィークネス・フォビア」に苦しむ大衆にとって、高市氏は政策立案者ではなく、精神療法士なのだ。彼女の虚構は、国民が自らの衰退という惨めな現実――人生における「コンビニおにぎり」や「しまむら」――から逃避するための強力な麻薬として作用する。こうして、大衆は嘘を求め、政治家は嘘を供給することで権力を得るという、完璧な共依存関係が成立する。SNSでの自己演出に終始する斎藤元彦兵庫県知事の振る舞いもまた、同様の「中身のないパフォーマンス」の変奏曲である。この知性の劣化が、外交という国家の存亡をかけた領域に及ぼす影響は計り知れない。

5. 末期症状:文脈を読めない知性の劣化と外交の崩壊

自己愛の殻に閉じこもり、客観的な現実を直視できなくなった社会は、他者との高度なコミュニケーションが要求される国際関係において、致命的な機能不全に陥る。現在の日本が直面している外交的苦境は、まさにその証左である。

中国が日本の周辺で行う軍事演習に対し、一部の指導者層やその支持層が見せる単細胞的な反発。この光景は**「『京都人的な嫌味』が通じない田舎のおっさん」**というメタファーで完璧に説明できる。中国の行動には、「君たちが言う『存立危機事態』とはこういうことだが、どう対処するのかね?」という、極めて高度な皮肉と戦略的な文脈が含まれている。しかし、「舐められたくない」という恐怖心に支配された人々には、その文脈を読み解く知性も余裕もない。彼らにできるのは、威勢のいい言葉を空疎に投げ返すことだけだ。

この外交的文盲は、「境界線」を失った社会の必然的な終着点である。単純な会話においてすら、相手を独自の意図と文脈を持つ独立した主体として認識できない社会が、国際関係における洗練された「京都人的な嫌味」を解読できるはずがない。彼らの耳に届くのは、自らの恐怖の反響音だけなのだ。

6. 結論:「弱者に冷たい国」に未来はない

本稿の議論を総括しよう。現代日本は「弱さへの恐怖」という深刻な病に侵されている。その結果、自己を客観視する能力を失い、個人の対話から国家の安全保障に至るまで、あらゆるコミュニケーションが「下品な自己愛」によって歪められ、致命的な機能不全に陥っている。

戦争の本質とは何か。それは敵を倒すことと同等かそれ以上に、「味方の損害をいかに最小限に抑えるか」に対して、「敵をより多く殺す」ことと同じだけの熱量とリソースを注がなければ、戦争には勝てないと」という、**「いかに自国民(味方)に金をかけ、その命を守るか」**という兵站とケアの能力こそが本質である。戦没者の遺骨収集に国家として多大な労力を注ぐアメリカと、半数近くを今なお異郷に放置する日本。この対比が、両国の「強さ」の本質的な違いを物語っている。この現実を前に、厳然たる事実を突きつけねばならない。

「人に金をかけない国、弱い人に優しくない国は戦争に勝てない」

ミサイルという虚飾のために国民の命を削り、弱さを恐れるあまりに弱者を切り捨てる。その虚勢こそが、この国を根底から蝕む、真の、そして致命的な「弱さ」なのである。この病理を直視し、克服しない限り、虚飾の大国に明日はない。

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