自民党と維新の連携、特に高市早苗氏が維新の議席(衆議院で35議席)を求めて接近しているという大きな文脈において、菅野完氏は吉村知事の行動に対して非常に批判的な見解を示しています。
吉村知事の行動に対する批判は、主に「身を切る改革」(特に議員定数削減)の真の目的と、自民党との連携における吉村氏の政治的な立ち回り(安売り)のまずさに焦点を当てています。
以下に、吉村知事の行動に対するソースが示唆する主な批判点を説明します。
1. 「身を切る改革」(議員定数削減)の目的が私利私欲であるという批判
吉村知事は、ニュース番組(ニュース23や報道ステーション)に出演し、自民党との話し合いで議員定数削減を提案したと報じられています。しかし、菅野完氏はこの提案を**「維新の私利私欲」**であると断じています。
- 地方切り捨てと都市への集中: 議員定数を削減すると、地方(田舎)の議席が減少し、東京や大阪のような人口の多い都会の議席は維持されるか、むしろ議席割合が増加します。例えば、徳島・高知や鳥取・島根のように複数の都道府県で選挙区が統合される一方で、東京や兵庫、福岡といった大都市圏は議席が増加する傾向にあります。
- 維新の議席割合の増加: この削減策は、大阪を地盤とする維新にとって国会における議席数(議席の数そのものではない)の割合が有利になるため、吉村氏自身の私利であると批判されています。
- 「身をこやす改革」: 維新が掲げる「身を切る改革」は、実態としては地方の議席を犠牲にして都会の議席を有利にする「身をこやす改革」であり、日本国民の敵である「売国奴」の行為であると厳しく非難されています。
- 本質的な問題の軽視: 政治家がチェックすべきは、国の一般会計予算115兆円という莫大な金額の使途であり、議員の給与や人件費(議員を全員首にしても500億円も浮かない)といった小さなコストにこだわるのは、**本質的な政治のコスト(民主主義のコスト)**を理解していない証拠だと指摘されています。吉村氏が提唱する定数削減は、「東京から種子島までの距離に並ぶ1万円札(115兆円)の使い道」を議論する際に、「東京から有楽町までの500メートル」の金の無駄を指摘しているに過ぎず、大局を見ていないと批判されています。
2. 自民党との連携における政治的立ち回りへの批判
吉村氏が自民党、特に高市氏との連携交渉に際して取った行動は、「安売り」であると批判されています。
- 「安売り」の行動: 高市氏からの電話一本で、吉村氏がすぐに東京へ出て行った(ホイホイ東京に出てきている)ことに対し、**「安売りすん なよ」**という評価が下されています。
- 「情けない」政治的判断: 大阪府知事という立場でありながら、自ら必死になって永田町をうろちょろし、新幹線に飛び乗って東京へ出向く行為は、「情けない」とされています。
- 理想的な政治家像との比較: 理想的な交渉のあり方として、吉村氏は配下(藤田氏など)を東京での交渉に派遣し、自身は府庁で待機して報告を受けるべきだったと示唆されています。そうすることで、自らの地位と交渉力を保てたにもかかわらず、吉村氏の行動は「嬉しがりみたいにのぞみに飛び乗っ」て東京に出向いた点で、政治家としての知恵が足りないとされています。
- 「乞食」への比喩: この安売りぶりは、「こっち(自民党)はアホで内閣を作って申し上げたい。そちら(維新)はアホで内閣を 作り たい と おっしゃる。これ を 願ったり叶ったり と 言う ん です」という言葉遊びを通して、吉村氏が自ら「物乞い(乞食)」になっているかのように皮肉られています。
3. 政治的優先順位への批判
吉村氏が議員定数削減を最重要課題として掲げている点も批判されています。
まとめると、ソースは、自民党との連携という局面において、吉村知事の行動を、政治的な未熟さ、地方を犠牲にした私的な利益追求(身をこやす改革)、および本質的でない問題の優先という観点から強く批判しています。

- 裏金防止より削減優先: 吉村氏は、政治資金改革や裏金防止といった「政治と金」の問題よりも、議員定数の削減の方が重要であると発言していることが強調されています。
- 過去の言動との矛盾: 維新は前回の衆議院選挙で自民党の「政治と金」の問題を批判していたにもかかわらず、その問題を棚上げにして連携を模索し、議員定数削減を優先することは、政治的な一貫性を欠いていると見なされています。
- 喫緊の課題への無関心: 吉村氏が東京で交渉に奔走する裏で、八丈島の台風被害の復旧や水道の断絶といった喫緊の課題(田舎はほったらかし)が報道されていることと対比させ、知事としての公務を疎かにしている可能性が指摘されています。
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