高市早苗は「破壊者」であり、リベラルにとって「好機」である?政治解説の鬼才が語る、誰も言わない5つの衝撃的本質

日本維新の会

導入部:政治の激動、その深層に迫る

自民・公明連立の突然の崩壊、そして高市早苗氏を中心とした新たな権力構造の胎動――。永田町を揺るがす激動は、多くの国民にとって先の見えない混沌に映るかもしれません。しかし、この混乱の表層を一枚めくると、そこには権力の本質、日本の政治史、そして私たちの未来を読み解くための、驚くべき「真実」が隠されています。政治解説者の菅野完氏は、この状況を「150年に一度の好機」と断言します。本記事では、菅野氏の鋭い分析に基づき、現在の政治状況の深層に横たわる、誰もが口にしない5つの衝撃的な本質を解き明かしていきます。

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1. 「天下人」の条件は“巡り合わせ”。高市氏にそれがないという決定的事実

まず、菅野氏が提唱する「天下人」の定義を理解する必要がある。彼によれば、真の権力者とは、本人の意図とは無関係に、過去の行動が後になって幸運な「巡り合わせ」として機能し、権力への道を切り拓く人物を指すという。それは緻密な計画ではなく、むしろ「結果論」としての幸運の連鎖だ。

例えば石破茂氏は、安倍政権下で不遇をかこっていた時期の一つひとつの行動が、図らずも現在の政権構想におけるプラスの材料に転化している。安倍晋三氏自身も、かつて教科書問題のイベントに関わったことが、巡り巡って菅義偉氏との連携を生み、長期政権の礎を築いた。

この「巡り合わせ」の力は、野党の指導者にも見られる。野田佳彦氏は、昨年の衆院選で勝てるはずがないと言われた八王子選挙区に有田芳生氏を擁立し、散々に批判された。しかし、その結果として萩生田氏が国政に復帰したからこそ、現在の非自民連立の構想が現実味を帯びている。また、安住淳氏は、党内の力学で半ば仕方なく幹事長に就任したが、自民党の自壊という事態に直面し、その役回りが「ドンピシャ」の采配となった。彼らの行動は、その時点では最善に見えずとも、後の政治的地殻変動によって決定的な意味を持つに至ったのだ。

これに対し、高市早苗氏にはその「巡り合わせ」が決定的に欠けていると菅野氏は指摘する。彼女の行動は、良かれと思って起こしたことが常に周囲に混乱と破壊をもたらすパターンを繰り返す。その最も象徴的な例が、昨年の奈良県知事選挙だ。現職知事が態度を決めかねている状況に「しびれを切らした」高市氏は、自身の側近である総務官僚を性急に候補者として擁立。さらに、地元の党組織での一本化調整が終わらないうちに、東京の党本部に「候補者は統一された」と一方的に報告した。これに現職が激怒し、自民党は修復不可能な分裂選挙に突入。結果、自民票は割れ、日本維新の会が「漁夫の利」を得る形で知事の座を奪取した。この一件は、彼女が「天下人」の持つべき「徳の巡り合わせ」とは無縁であることを、あまりにも雄弁に物語っている。

2. なぜ「高市総理」を歓迎するのか?――すべてを破壊する「最終兵器」という逆説

高市氏の資質を厳しく分析する菅野氏だが、彼の主張で最も衝撃的なのは、高市氏の総理就任を「大歓迎」しているという点だ。これは決して皮肉ではない。彼にとって高市氏は、旧態依然とした自民党や霞が関の官僚機構を内部から徹底的に破壊してくれる、いわば「最終兵器」なのである。

これは一種の「加速主義」的なロジックだ。「天下の器」を持たない人物が権力の頂点に立てば、その組織は必然的に崩壊へと向かう。菅野氏は、彼女がその「破壊者」としての役割を遺憾なく発揮し、10年も政権を担当すれば自民党も霞が関も「ボロボロ」になるだろうと予測する。そうなれば、野党にとって次の選挙は非常に「楽」になるという、冷徹な戦略的判断がそこにはある。この逆説的な期待は、以下の強烈な言葉に集約されている。

あらゆるものが破壊されていきます。 …(中略)… 人間としてね、高市さんがね、有名人で言うとね、皆さんがご存知の関西の有名人で言うと高市早苗さんが一番似てよう似てんね、籠池じゅん子さんです。そっくりです。あらゆるものが破壊されていきます。

3. 自民と維新の連立は「元サヤ」。驚くべきではない歴史の必然

高市氏個人の資質と破壊的なパターンを理解した上で、次に目を向けるべきは彼女が引き起こしている政界の構造変化だ。高市氏が主導する自民党と維新の会との連立協議は、多くのメディアや国民に「驚き」や「裏切り」として受け止められている。しかし菅野氏は、この動きを「元サヤに戻っただけ」であり、「ある意味当然」の帰結だと冷静に分析する。

彼の歴史的視点によれば、これは2012年頃の第二次安倍政権誕生時に見られた政治的構図への回帰に他ならない。当時、安倍氏と橋下徹氏率いる旧日本維新の会は、教科書問題などを通じて思想的に極めて親和性が高く、その繋がりが後の森友問題などの土壌ともなった。つまり、今回の自民・維新連立は突発的な政局の産物ではなく、むしろ歴史の必然とも言える自然な流れなのだ。この視点は、現在の政治状況を単なる離合集散としてではなく、より大きな歴史的文脈の中で捉え直すことを可能にする。

4. 「150年に一度の好機」到来。今こそ“平和と人権”の旗を掲げる時

高市氏個人の資質と、自民・維新という歴史的回帰を理解した上で、菅野氏の視線は未来の政権図、そしてリベラル陣営が取るべき戦略へと向かう。彼がこの混沌を「好機」と呼ぶ真意は、ここから明らかになる。

彼は、高市氏率いる自民党と維新だけでなく、N国党や参政党までもが連立に加わる可能性を指摘し、これを真の意味での「反動政権」が誕生する「150年に一度の好機到来」と位置づける。なぜこれが好機なのか。それは、政権側がこれまで建前で隠してきた正体を、もはや隠そうともしなくなるからだ。明治維新以来、日本の為政者は常に反動的でありながら、そうではないという体裁を保ってきた。しかし、この新政権は「反動であることを剥き出しにする」。

敵の正体が明確になるからこそ、リベラル・左派陣営はもはやためらう必要がなくなる。臆することなく、堂々と「平和と人権」という本来掲げるべき旗を高く掲げ、正々堂々と戦うことができる絶好の機会が訪れたのだ、と彼はポジティブに分析しているのだ。

5. 左派への痛烈な警告:「あの女」と呼ぶな。我々の“ミソジニー”こそが最大の敵だ

この記事の核心は、菅野氏がリベラル・左派陣営、とりわけ彼自身の視聴者の中心である「50代以上の男性」に向けて放った、痛烈な自己批判の要求にある。彼は、高市氏を「あの女」「バブルの女」といったジェンダーに根差した言葉で批判する行為の愚かさと危険性を、容赦なく断罪する。

菅野氏が説くフェミニズムとは、単に「女性の社会進出を応援する」思想ではない。それは、女性を特定の型にはめてしか見ない家父長制(パターナリズム)の構造そのものを破壊するための思想である。この観点から見れば、高市氏自身は、その家父長制を温存・強化しようとする立場であり、フェミニズムの敵であることは明白だ。

しかし、だからといって彼女の「女性性」を攻撃することは、批判者が同じ家父長制の論理に囚われている証左に他ならない。それは自分たちの思想的立場を根底から裏切る行為であり、陣営の正当性を毀損するだけの「不良債権」となる。高市氏を批判するならば、その保守的な思想や具体的な政策に対して行うべきなのだ。

この議論の重要性を裏付けるものとして、菅野氏は臨床心理士である信田さよ子氏のXを引用する。

公明党斎藤代表が連立事実(維持)を決めた後の高市さんの反応には既視感が。DV被害を受けた妻が別居したいと伝えた後の夫の反応と同じだった。「突然言い出された」「もっと話し合えば分かってもらえる」「一方的に別れを宣言された」「直接会って話せば分かり合える」などなど。ほとんどの夫がこういうのである。

この指摘の鋭さは、高市氏への批判を「あの女は感情的だ」といった性差に根差したミソジニーから、「これは権力者が用いる典型的なDV加害者の論理だ」という、ジェンダーではなく権力構造の分析へと昇華させる点にある。我々が批判すべきは、まさにこの権力者の思考パターンそのものなのだ。

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まとめ:真の戦場は、我々の内にある

現在の政治混乱は、単なる権力闘争ではない。それは、リーダーシップの本質とは何か、政治における破壊と創造はいかにあるべきか、そして何よりも、私たち自身の思想的立ち位置を根底から問う、重要な転換点である。

「破壊者」が目前に迫る今、菅野氏が突きつけるのは、真の戦場は永田町ではなく、我々自身の内側に巣食うミソジニーと旧態依然とした思考様式そのものであるという、痛みを伴う真実だ。この内なる敵との戦いこそが、これからの時代を生き抜くための唯一の道なのかもしれない。

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