特に、社民党の現状と衰退の原因、そして、現代の政治に必要な女性議員のイメージについて、以下のような議論が展開されています。
1. 社民党(旧社会党)の衰退原因に関する考察
適切な党内手続きの実施 まず、直近の政局に関する議論において、社民党は、共産党や立憲民主党などと同様に、党内手続きを完璧に踏んで判断を下している政党として言及されています。これは、自民党や日本維新の会など、党内手続きを軽視したとされる勢力と比較され、皮肉的に民主的なガバナンスを持つ政党として評価されています。
衰退の核心的要因:「おっさん体質」 しかし、社民党(旧社会党)の党勢衰退については、上野千鶴子氏や大椿裕子氏の総括を引用しつつ、より構造的な批判が展開されています。
- 大椿裕子氏は、村山富市氏を総理にしたことや土井たか子氏を国会議長にして党籍離脱させたことが保守支持者の離反を招いた、という上野氏の総括を、有権者から常に突きつけられる問いだと述べています。
- これに対し、菅野氏は、これらの総括自体は間違っていないとしつつも、衰退の最大の原因は、それらの個別の政治問題ではなく、社会党の党運営そのものが「おっさんマインド」(男社会のそのもの)であり、女性を差別しすぎたことにあると断じています。
- 土井たか子氏を党首に選出する(土井たか子ブームを巻き起こす)ような革新的な行動をとった組織でありながら、内部の党員(おっさんたち)が「おっさんマインド」で運営を続けたことが、最大の敗因であると指摘されています。
- 社民党の現状については、「福島みずほの周りの男は気持ち悪い」という事実をまっすぐ言えないことが、党が復活できない最大の足かせとなっており、社会党の中の「山」(古い体制)は動いていない、と厳しく批判されています。
2. 女性議員像の理想と「アニーホールっぽさ」
発言者は、社民党や左派陣営の限界を指摘する際、文化論の文脈で詳述した「ダイアン・キートン的女性像」を政治の世界に持ち込み、**日本の政治が脱却すべき「陰湿さ」**と、求められる「カラッとした」女性像の対比を行っています。
文化論の背景:ダイアン・キートンと独立した女性像
- ダイアン・キートンは、マリリン・モンローやグレース・ケリーに代表される「美しく、男の社会に媚びる」という意味での伝統的な女性像や「お人形さん」像とは一線を画し、独立した、自分の意思を持つ女性を映画(特に『ゴッドファーザー』やウッディ・アレン作品、特に『アニー・ホール』)の中で表現し続けたアイコンとして評価されています。
- 彼女が体現する世界観は、「人権、平和、フェミニズム、資本主義、文化」といった西側先進資本主義国の価値観のベースになっていると論じられています。
- 特に、映画『アニー・ホール』を見て共感できるかどうかが、保守的な価値観(例えば賛成党に投票するような層)とそうでない層を分ける試金石とされています。
政治に必要な「アニーホールっぽさ」
- 日本の政治(特に男社会が作り上げた政治)は、「陰湿」(じとっとしている)であると批判されています(例として、玉木雄一郎氏と榛葉賀津也氏のYouTube動画の「ベトベトじとじと」した感じが挙げられています)。
- この「陰湿」なホモソーシャルな世界に対抗し、打ち破るためには、政治家、特に女性政治家に**「極度にカラッとしている」こと、すなわち「湿度がない感じ」**が求められるとされています。
- この「アニーホールっぽさ」(湿度の低さ、カラッとした態度)こそが、社民党には「ない」ものだと結論付けられています。
対比される女性議員のイメージ
- 社民党(福島瑞穂): 福島みずほ氏と彼女の周りの男性たちのイメージは、「因質でじとっとした男の社会」と対比して、「アニーホールっぽさがない」とされます。彼女は、政治の場で男性が作り上げた「腐った政治」を打破するという意味では、この「湿度」の問題を抱えていると見なされています。
- 立憲民主党(西村ちなみなど): 一方、立憲民主党の一部の女性議員(西村ちなみ氏、石垣のりこ氏、岸真紀子氏など)は、この「アニーホールっぽさ」のポテンシャルを持っていると評価されています。彼女たちは、「これから女性の時代ですよ」といった古い世代の「田舎のおっさんやおばさん」を笑いながらあしらうことができる、**「カラッとした」態度(湿度がない感じ)**を持っているとされます。
結論として、菅野氏は、社民党が党内構造における根深い「男社会」(おっさん体質)から脱却できなかったことが衰退の最大の原因であり、その克服のためには、文化論で提唱されるような、日本の湿度の高い政治風土を打ち破る、カラッとした独立性の高い「ダイアン・キートン/アニー・ホール」的な女性議員像が必要であると主張しています。
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